連合軍に敗れた日から77年。
終戦を最も印象付ける来訪者は誰か、と問われれば、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーではないだろうか。

ティアドロップのサングラスとコーンパイプ、焦土と化し、戦いに疲れ果てた日本を睥睨する様に降り立った胸板の厚い白人。

マッカーサーは 連合軍最高司令官となる前、1927 年~ 1928 年の1年間、アメリカオリンピック委員会の会長を務め、
1928 年のアステルダム大会ではアメリカ選手団団長だった。

戦争という、殺し合いと、平和の象徴であるオリンピック。軍人とは真逆を指すベクトル、オリンピックを支える役割。

終戦後、打ちひしがれた日本人へ向け最高司令官マッカーサーが積極的に示したものひとつ、それがスポーツによるエールだった。

マッカーサーはCIE=情報教育局にスポーツニュース専門の制作会社創立を促した。戦後、動き始めたスポーツ界の姿を映像を通して全国に伝える為にである。

野球、水泳、陸上、相撲、テニス…再開したフェアな戦い。戻ってきたアスリートたち。それをレンズも追いかけ始めた。そして、このムーブメントは1964年の東京オリンピックへと続いていく。

スポーツがある風景、
その平凡と有難みを、今一度、刮目する、77回目の終戦の日。