思い起こせば、東京五輪・パラリンピックは故・石原慎太郎都知事の鶴の一声で2006年に2016年大会の招致活動から始まった。
2009年10月2日。
北欧の街、コペンハーゲンで開かれたIOC総会で東京はシカゴに続き、あえなく落選した。多くのボランティアが招致活動に尽力した。
2013年9月8日。
南米の街、ブエノスアイレス。
2020年の開催を手にした。ここまでは勿論、この後も、多くのボランティアが開催に向けて尽力した。
2020年3月30日。
東京大会の1年延期が決まり新たな日程が発表された。この時も、多くのボランティアが、あと1年と、開催に向けて尽力した。
そして多くの人たちがチケットを、ギュっと握りしめた。
2021年7月23日。
東京。開会式は無観客だった。熱波の如き、猛暑の中で、ボランティアが開催、運営に尽力した。

それまでの間、聖火リレー、選手団受け入れ、選手移動、そしてパラリンピックの閉会式の後片づけまで、多くの人たちが、東京大会の為に、尽力した。

先日、東京オリンピックの公式映画がAとB、2本が続けて公開された。観客席はガラガラ、無観客と揶揄する言葉がネットに踊った。

通常の映画は巨大な興行収入を目指して制作、公開される。
公式映画・東京オリンピックは興行収入が目的ではないはずだ。

無観客で会場での観戦が叶わなかった人たちや「東京大会の為に尽力した」多くのボランティアを”劇場に招待”すべきではなかったのか。

「五輪を呼ぶにはカネがいるのだ」と嘯く輩には、謹んで”銭メダル”を差し上げたい。